自主練記録
&生存報告代わり。2010/03/15~
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「継続は力なり」を効率良く!【デッサンの効用編】
継続を効率良く力とする方法
…は、知識(例:解剖学とか)の補充+クロッキーとデッサンの併用。
――という訳で、初っ端から結論&前回(レベルupメモ)を覆すかのような話ですが(笑)。
過去にも自主練、集中的に描く、枚数描く、独学いろいろお勉強…は、本当、けっこう散々した訳でして、以前に語った昨年の練習時期も「来~たァー!」という、かつてない手応えは感じた訳ですが、そして、それらの過去を経て今があるとも言えますが、
今回は更に圧倒的な手応え(と解放感)を得ている訳で、違いはやっぱりデッサンやり始めたからだな、と思う。という話。
デッサンの効用
- 1回「経験」する毎、ほんとうに毎回「見える世界が変わる」!=観察力upで、それまで見えてなかった物が見れるようになる
- 経験する毎に、表現力も上がる
=「目と手が訓練される」って事な訳ですが
- 観察力up…「理解度が上がる」「より多くのヒントを読み取れるようになる」「読み取れる情報量が上がる」
→で、読み取ったヒントを経験値上がって「より良く動く(描ける)ようになった手」が表現してくれるので、相乗効果で効率ウン倍。
そして「出来なかった事が出来るようになる」=限界が無くなっていく、不可能な事が減っていく、可能性が広がっていく、という事で、表現の幅が広がる度に、描けるものが増えていく。
(今のところ)鉛筆デッサンやってるので、例として、
鉛筆の使い方が上手くなる=鉛筆で表現できる・描ける物の範囲が増える・広がっていく
…「紙1枚と鉛筆1本」という道具のスペックは変わらずとも、手(自分、人間側)の訓練度が上がる度に、表現の幅が広がっていく!
→で、これって「階調・質感無限大」のアナログならではの効率の良さだなあと思い、しみじみと改めて感動をしてみたり。
いやーホント、だって自分の手が「より的確に・多様に動く」ようになるだけで、同じ紙とシャーペン使ってても、どんどんと描ける濃淡の幅とか広がって行くんですよ!凄いぞコレ!
まとめ:デッサンで訓練する=自分のスペックを上げる、という事なので、スペック上がる度に効率良く楽になってくぞ!スペック上げる手段として、デッサンは(きっと一番)効率良いぞ!
昨日のデッサン経験でレベルアップしたぞー!の話。
- ふと「球体のカゲ」の参考写真を見たら、ちゃんと「理屈通りに見える」ようになっていた!カゲが「理解できる」!
見えない=わかってない、わからないから見えない。
見えないから描けない、理解してないから描けない。
知ると見えるようになり、見えるようになれば描けるようになる。――な訳ですが、理解してないと写真の陰影って「ただの灰色」
反射光が云々…などの理屈や説明は何度も読んだし、絵を描く際に「ここに反射光設定して~」と理屈を利用する事や、意識して考えながら見れば「ああ、これが反射光か…」と思う程度はできていたんですが、
それでも今ひとつ実感を伴うところまでは達してなかったんですね。観察力が上がったようで、
「理屈から推察する」「写真の灰色から読み解く」という状態から、
写真を目にした時に自然に「おお、反射してる。ここに稜線があってカゲになってるなぁ。」と写真の中の光と影が見える状態に変わっていた…!特に「稜線」がちゃんと見えた事が感激でした!
111日目その2:継続は力なり。普通に描き続けた方が結果として効率的。
つくづくと、「継続は力なり」
長いッ事、
- アタリから細かくギチギチに描いて“詰めて”いかないと、マトモに絵がかけない
- 無駄な線多すぎ
- イメージを素直に絵にできない(=手が動かない。)
- ――そんなこんなで、絵を描くのに物凄く時間が掛かる。
- あまりにも、いつまでも、何もかもが「描けない」ので、しょっちゅう半泣き
あの手この手と色々やっても挫折を繰り返す年月をホント散々繰り返して来ていたのですが。
ブログを開始して3ヶ月半ほど。
すべてが一気に解消し始めたっ…!
――で、その結果として判った事は、
- 自分は描くのが遅いのではないか?
- 「一発描き」とか出来る人って、どうなってるんだろう…。出来ない自分は才能が無いのか
- etc.
- “必要なアタリ”が減る(下書きをギチギチに描きこまなくても良くなる)
- 線が整理される
- スラスラと手が動くようになる
描くこと「継続」さえすれば、
詳細なアタリ・下書きや無駄な(ように思える、絞りきれてない)線を何度も何度も繰り返す内に、面倒になる――は言葉が悪いようですが(笑)、自然とそこまで必要じゃなくなる=自分の中で淘汰されて減っていく、必要なものだけが残るようになる。
手、体が訓練された結果とも言える。また更には、必要な物が「残る」だけではなく、必要な表現が「出てくる」。(例:表現したいものに合った線が描けるようになったり、など。)
アタリや線、下書きの工程などを「無理矢理に減らそう」と試行錯誤するよりも、「描き続けた結果で得られる洗練」の方が、結局は圧倒的に確実・早い・効率がいい、そして何より過程も結果も純粋に楽しめるぞ!
まとめ:効率を模索するよりも、「絵そのもの」の模索に集中した方が良い。効率は後から付いて来る。
77日目その2「目」
- なるほど。黒目の中で黒い部分=瞳孔は、(その名の示す通り)虹彩の真ん中に空いた孔(穴/アナ)!
ん~、やはりしみじみ、実際に描いてみるに限りますね。やっと実感として「入って」来たぞー!
ってな事を踏まえて、マンガ絵デフォルメを描いてみると、また楽し。虹彩はドーム型(なので、ちょっと盛り上がってくる。縁のあたりに影がつく)。更にその上からドーム型の角膜が蓋をしている
=ハイライトや、黒目全体の陰影が“乗る”のはここ。これもやっとリアル実感。目の中の陰影やハイライトを描くのが、理解を伴ってやりやすくなりそうな感触ッ。
「記す」事の効用
こうして、「はっ!そうか…!」と理解が訪れた事でも、その後に知識を「活用する事で身につける」って期間を経ないと、ちゃんと「自分の物」にならないんですよね。
せっかく知っても使わないでいると抜けていっちゃう。体得せずに終わっちゃう。
んで、こうして「レベルupメモ」とか銘打っちゃって(笑)、人目に晒すとですね、
「ん?この管理人、あの時にまとめてた知識が抜けて行ってないか…?」というのが絵で丸バレする訳で(笑)、
それは恥ずかしいぜ!ってことで、「――ハッ!そうそう、骨盤の位置は内臓を意識するのがコツ…」とか、自分で意識して反芻する機会が増える。
いい感じです。
久々のレベルupメモが77日目ってのもまた、なんだかイイカンジ(笑)。
57日目その1「デッサン効果すごい!」
- (TV映像を)1-2秒見る→紙に向かう→描ける!
自分の中に印象が保たれて(※)、ちゃんと全身ポーズのクロッキーができるよ…!
デッサン効果、絶大すぎる…!
自分のOSが一気に刷新される。(※)今まで、絵練習しつつも
- 写真見ながら練習する→こればかりやってると、クロッキー力や、自分の中のイメージから描く力が落ちる(落書きしようとした時に「出てこなくなる」)
- クロッキーや落書き、自分絵に集中する→解剖知識がおぼろげになってくる
- パースや立体で組み立てる練習に集中する→人体の描写が硬くなってくる
- …etc.
時間と体力が無限なら「毎日全部やる!」で均等に伸ばしていけるけど、その前提(無限の時間と体力)あり得ないし。あーもーホンット時間足りなすぎるだろう!…だった、のに!デッサンやると能力値が全部まとめて伸びる(※)、伸びるよ…なんだこれ凄すぎる。有り難すぎる。感涙だよ!とか書いてたら、本気で嬉しすぎて涙腺ゆるんで来たよ!!! ありがとう、ありがとう!…えーと、えーと…《対象を検索中…》ありがとう、八百万の神様!!(←感謝感激を、どこに向けたらいいのか判らなかった/笑)
- ※
- 自分の中に印象が保たれる…「脳みそに(で)記憶」というよりも、「からだ全体で覚える」という感じ。ポーズを体感するというか。
- 自分のOS刷新…カテゴリー「レベルUPメモ」で、わーいわーいと浮かれてるような(笑)場合、「今までの自分にプラスされる」というよりも、認識が全部「入れ替わる、刷新される」=「おはよう、新しい自分!」みたいな(笑)感じ=(例えるならば、)PCのOSが入れ替わるみたーい。…とか、思ってます。
そんでもって、普段なら「壁」にぶち当たってウーンウーン(苦悶)スランプ…の時期を経た後でなければ決して(「新しい私!」は)来なかったのに、デッサンやったらなん(何)もナシでイキナリ来た!よ…。なんだこれ、なんだこれすごい…!(感動を反芻中。)
- 全部まとめて伸びる…ただし、解剖学その他「知識」部分は、もちろんながら「補充」しなければ無理。
- 後半に入ったこの辺からは、デフォルメ・誇張・パターン化して遊ぶ描き方になってるけど、
ちゃんと「全体・全身」の印象をまとめて覚えるから、頭と身体が合わない、乖離する、別物になる…ぐぐぐみたいな事もなくなったし!
カテゴリーもレベルupメモな事だし
(現時点での)TV見ながらクロッキーのコツや利点まとめ
- パッと覚えて、細部があやふやだろうと、無理矢理でも描き切るようにする=「イメージを描く」(事の練習)にも繋がる
- 見たものを反芻して描く=反芻による記憶の定着化、情報としてストックできる
(単語覚えるのにも、見ずに諳んじる→答え合わせ、で暗記する。と、似たようなもの。) - 短時間で印象を覚えるために、ポイントを絞った観察ができるようになる
(それぞれが「うおお!」という個人的大発見や転換期だったりしたのですが、まとめると3行とかで終わってしまうのが切ない/笑。)
55日目その1「存在に触れながら、描く。」
- 漫画見ながら,他。
「そこに立体がある」
「(二次元上で絵を構成してる)線」ではなく、「立体としてのキャラクター(人、物その他問わず)」の輪郭線(表面)に触れているつもりで線を引いていくと、デッサンが取れる(※)かも。
手癖先行で無駄な線を引いてしまう事も自然となくなるし、
結果的に、ほぼ一本線で一発描きのような感じのすっきりした下絵になる。(図Aあたりがコレ。)
見た物を絵として描き直す、ではなく、「存在をなぞる」
→これの発達系が、「頭の中のイメージをそのままなぞれば、一発描きでそのまま絵ができあがる」系かもしれない。【図あ】は自分の絵。「紙に絵が見えて、それをなぞる」という感覚で描けたかも。(「絵の全体像そのものが紙に浮かぶ」の域には まだまだ だが、「次に引く線が想像できて、その線の終着点がわかる。」みたいな。)
やはり普段の把握度が物を言うらしく、耳は少し「見える線」がおぼろげになる(ゆらぐ)。首は線がほぼ浮かばず、アタリを取らないと線が引けない感じ。直線や図形を描く時も、「直線(etc.)」と意識するのではなく
- そこに垂直なものがある,水平なものがある
- 四角いものを,球体を,三角のものを、触ってる
- ※
- デッサンが取れる…同類項言い換え:極端にバランスが狂ったりしない。右描いてて左描いたらつじつま合わない、とかがない。視野が広がった状態、全体的な認識をして描ける。
この考えで行くと、立体として触れる点、辿れる線というのは一カ所に一つきりだから、両目で見た「画」=右目と左目の二つの視点を複合した、二重になった絵とは相入れない
=効き目でアタリと全体のプロポーションを取った後に、この触る感覚で物体を辿っていくと、デッサン画を描く際に良いのかも?(前に言った、両目の視界で描くと逆パースっぽくなるよね話のような絵にならないのかも。あれはあれで描くの好き。という点は、変わらないとして。)
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